カキタクナッタラ

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カキタクナッタラ

出力することを忘れないように何かを書きます

生き抜く難しさと生きている奇跡を感じずにはいられない

雑記 日常

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知人の訃報を受けました。私より年上の方ですが世代的にはそこまで変わりなく、まだ40手前で若いというのに…急逝にショックを隠せませんでした。同時に改めて「生きる」ということについて、いろいろと考えさせられました。


亡くなった知人の死因は脳内出血ということで、本当に突然のことだったと思います。以前の仕事関係の方なので8年くらい会っていませんでしたが、何度も一緒に飲み行ったりもしていたので、当時のことを思い出すとなんだか未だに何が起こったのかよくわからないし、現実として起きたことが信じられません。

そして改めて「人って突然逝ってしまうんだな」ということを思い知らされました。今回は特に年代が近い方の急逝ということで、その突然逝ってしまうということがいつか自分にも起きるかもしれない、そういうことも含めていろいろ考えずにはいられません。

これまで生きてきた中で、もちろん誰かしらの死には直面してきています。私の場合は、かつてまだ20になりたての頃に母が亡くなったり、昨年は祖母が亡くなったり。

或いは同世代の死に直面することもありました。最初は小学校の頃、クラスメイトが虫さされの毒を拗らせて亡くなってしまったこと、それから高校生の頃に友達がバイク事故で亡くなってしまったことなど。

まず身内の死というのはそれは大変悲しくショックなことですが、ある意味では自分が先に亡くなってしまうよりかは真っ当な順番だと思うので、時間の経過と共に気持ちの整理もついて落ち着いていきます。

またクラスメイトや友達の死については、どこか現実離れしているというか夢を見ているような気分のままで、その亡くなってしまった理由も含めて、どこか自分の考えられる範疇を超えた領域で起きたことのように今でも感じていて、現実味がないまま今日まで至っています。

しかし知人の訃報を受けた時に、その方の生活スタイルというのもある程度は知っていて、すごく自分と重なる部分もあるので悲しさと同時に、自分にも十分起こり得ることだと思い怖さを感じたし、常に人は予期していない時に逝ってしまうということは頭の片隅に置いておかなければいけないと思いました。

今この瞬間を当たり前のように生きてしまっていますが、案外生き抜くということは難しい。だからこそ今この瞬間を生きているという奇跡を感じずにはいられない。

そして何より亡くなってしまった人の周りは本当に悲しい思いや寂しい思いをすることになります。

私はこれまで日頃の生活において、自分の体を気遣ったり労るという感覚をあまり持ち合わせていませんでした。

ものすごく悪食だし、夜行性だし、生活は不規則そのもの。

食べたい時に食べたいものを好きなように食べればいいと思っていたので3食ラーメンの日が連日だったり、最近はもう控えていますが毎晩飲み歩いて深酒をしたりで、特に今の相方には本当に心配も迷惑もかけてしまっていると思います。

いま、自分に生活スタイルや世代が近かった知人の訃報を受けて、本当に生きぬくことの難しさと、そして生きていることの奇跡に対して有り難さを身にしみて感じているので、自分の生活も少し見直してみようと思います。

もう少し自分で自分のことを大切にしてみよう。

そう思いました。


でででーさん
d3dayo.hateblo.jp